20代から金融系の営業職として、がむしゃらに働いてきました。
昇進、給料、資産——すべてを追い続けた結果、気づいたことがあります。
頑張ることと、自分を追い詰めることは、まったく別のことだということです。
この記事では、僕自身の経験をもとに、働き方を見直したきっかけと、その先に見えてきたものをお伝えします。
がんばれば報われると思っていた20代
「努力は必ず報われる。」
20代の頃の僕は、そう信じて疑いませんでした。早朝に出社し、休憩も返上して働き、サービス残業も休日出勤も当たり前。無理なノルマを毎月追い続けながら、「いつかこの頑張りが実を結ぶ」と自分に言い聞かせていました。
帰宅しても、頭の中は仕事のことでいっぱいでした。夕食を食べながらも明日のノルマのことを考え、夜は資格の学習に時間を費やす。仕事にとりつかれているような日々が続いていました。
体が悲鳴を上げていた
今思えば、体はとっくに限界を超えていたのだと思います。
慢性的な頭痛と肩こり、そして吐き気。当時はそれが「働きすぎのサイン」だとは気づきませんでした。「これくらい普通だ」「みんな同じように頑張っている」と、自分に言い聞かせて無理を続けていました。
精神的にも、じわじわと不調をきたしていたと思います。ただ、その頃の僕には、自分の状態を客観的に見る余裕がありませんでした。がむしゃらに前だけを向いていたからです。
仕事も節約も投資も、全部全力だった
当時、僕は仕事と並行して、資産形成にも全力で取り組んでいました。
給与のほとんどを投資に回し、生活費は極限まで削る。仕事はきつい、生活もきつい——二重の意味で追い詰められていました。節約と投資と仕事、すべてを同時に全力でやり続けた結果、心にも体にも、まったく余裕がない状態でした。
資産の数字は着実に伸びていきました。でも、それと反比例するように、生活の豊かさは失われていきました。数字は増えているのに、どこか満たされない。そんな矛盾した感覚を、ずっと抱えていました。
今振り返って思うこと
あの頃の自分に声をかけられるとしたら、こう言いたいです。
「やりすぎだよ。」
がんばることは大切です。資産を築くことも、スキルを磨くことも、決して無駄ではありません。でも、自分の体と心を犠牲にしてまで追い続けるものは、どこかで必ず歪みが出ます。
報われるために頑張ることと、自分を壊しながら頑張ることは、まったく別のことです。
今の僕が大切にしているのは、「程よい力加減で、長く続けること」です。全力疾走ではなく、自分のペースで走り続けること。それが、本当の意味で豊かな人生につながると、今は心からそう思っています。
職場の人間関係、昇進争いに振り回された日々
常に誰かの顔色をうかがっていた
当時、営業職だった僕の毎日は、誰かの顔色をうかがうことから始まっていました。
朝、出社すれば上司の機嫌を確認する。商談では取引先の表情を読み続ける。会議では発言のタイミングを計り、社内では同僚との関係に気を配る。気づけば、一日中「誰かにどう思われているか」を考えながら動いていました。
自分の意見よりも、周囲の期待に応えることが最優先でした。それが仕事だと思っていたし、それができる人間が評価されると信じていたからです。
昇進と給料が、すべての目標だった
役職を上げて、給料を増やして、資産を積み上げれば、いつか楽になれる。
そう信じて、昇進争いにも必死で食らいついていました。同期が昇格すれば焦り、評価が思うように出なければ落ち込む。常に誰かと自分を比べながら、上を目指し続けていました。
資産が増えれば増えるほど、次の目標が生まれる。「もう少し、もう少し」と、ゴールのないレースを走っているような感覚でした。
楽になれると思っていたのに、楽になれる瞬間は一度も来ませんでした。
会社に居場所もお金も、全部預けていた
今振り返ると、当時の僕は会社に依存しすぎていました。
やりがいも、居場所も、自分の価値も——すべてを会社の中に求めていました。評価されれば自分を肯定できる。評価されなければ、自分には価値がないと感じてしまう。そんな状態が続いていました。
お金の面でも、収入のすべては会社からの給与のみ。会社がなくなれば、収入もアイデンティティも失ってしまう。今思えば、非常に不安定な状態に自分を置いていたと思います。
失った時間と経験が、今も頭をよぎる
昇進争いや人間関係に費やしたエネルギーは、膨大なものでした。
家族との時間、趣味、健康、友人との関係——会社以外の大切なものを、後回しにし続けていました。あの頃に過ごせなかった時間や、経験できなかったことは、今でも後悔として残っています。
お金と居場所のすべてを会社にかけていたあの日々。失ったものの大きさに気づいたとき、僕は少しずつ、会社への依存から距離を置くことを考え始めました。
会社はあくまで、人生の一部です。すべてではない。そのことに気づけたことが、窓際FIREへの第一歩でした。
資産3000万円を超えて、気づいたこと
順調に積み上がる資産。でも、何かが違う。
30代に入り、資産形成は順調に進んでいきました。
コツコツと続けてきた積立投資が実を結び、資産は着実に増えていきました。そして、資産が3000万円を超えたあたりで、ふと疑問が頭をよぎりました。
「こんなに働く必要が、本当にあるのだろうか。」
資産という数字は増えていく。でも、それと引き換えに何かを失い続けている気がする。このまま資産だけが積み上がっても、人生に何も残らないのではないか——そんな問いが、頭から離れなくなりました。
8年近く続けた金融営業職を手放す決断
当時、金融系の営業職を8年近く経験していました。
業界の慣習も、仕事の進め方も、人間関係の築き方も、すべて身についていました。ある意味で、居心地のよい場所でもありました。だからこそ、転職という選択肢を頭でわかっていても、なかなか行動に移せませんでした。
「もう少し資産が増えてから」「タイミングを見て」——そうやって先延ばしにしながら、実際に行動するまでにだいぶ時間がかかってしまいました。
それでも、もっと早く家に帰れる仕事に就きたいという気持ちは、ずっと心の中にありました。
無理が「当たり前」になっていた
人間は不思議なもので、過剰な働き方や無理な倹約が続くと、それが当たり前の感覚になっていきます。
仕事をすれば頭が痛くなる。吐き気を催すこともある。体調が悪い中で働くことが、普通のことだと思っていました。「みんなこうやって頑張っているんだ」と、疑いもせずに受け入れていたのです。
今思えば、それは当たり前ではありませんでした。ただ、周囲に流され、その環境に慣れてしまっていただけでした。自分の状態を客観的に見る余裕が、まったくなかった時期です。
資産と、幸運が、転機をくれた
転機になったのは、コツコツと続けてきた投資の成果でした。
積み上げてきた資産が順調に育ち、「この資産があれば、働き方を変えられる」という安心感が少しずつ生まれてきました。お金が、選択肢をくれたのです。
もちろん、運にも恵まれました。投資のタイミングや市場の状況など、自分の力だけではどうにもならない部分もありました。ただ、続けてきたことが、確実に結果につながっていたことも事実です。
あの頃の無理な働き方や、苦しかった倹約生活があったからこそ、今の自分がある。そう思えるようになったのは、働き方を変えてから、少し時間が経った後のことでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
このブログが、あなたの生き方や働き方を考えるきっかけになれば嬉しいです。
次回もぜひお楽しみに。今後ともよろしくお願いいたします。
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